このところの熱中症状

1ヵ月も日記を書かないというのは近頃では珍しく

働いてもいないくせに忙しいとの言い訳もできず

ましてや心身の不調で書いていないわけでもない

まぁ強いて挙げれば

制作に忙しかったということにしておこう

手仕事の再開

へたくそな手慰みであるが

ボチボチ続けていこうとあらためて取り組みはじめた

これが今の私の熱中症

大貫妙子さんの父親

半年ほど前に読んだ「唱歌の社会史」

そのあたりであれこれ御調べているうちに大貫差妙子さんの父親の話を知る

図書館で借りたのだが、ハードバックということもあり読みそびれていた

7月にジュンク堂で文庫を買い暑気払いに読む

 

特攻隊振武寮 帰還兵は地獄を見た (朝日文庫)

特攻隊振武寮 帰還兵は地獄を見た (朝日文庫)

 

 昔から暑いときに意外に本が読める

あわせて鴻上さんの本も買い一気に読む

 この本だけは図書館で借りてみた

青空に飛ぶ

青空に飛ぶ

 

 

小松美羽展

ACSさんで招待券をいただけたので見に行ってみる

美術展などひさびさである

随分と昔たずねたことのある三岸節子美術館だった(何の展覧会か思い出せない)

あちら方面はひさびさの道行きで結構懐かしく感じる

初期の銅版画もう少し視たかったが・・・・

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さっそく中村図書館でこの本を借りて読み始めた

 

世界のなかで自分の役割を見つけること――最高のアートを描くための仕事の流儀

世界のなかで自分の役割を見つけること――最高のアートを描くための仕事の流儀

 

 

小松美羽 ?20代の軌跡? 2004-2014

小松美羽 ?20代の軌跡? 2004-2014

 

 

アースダイバー

少し前の朝イチで柳美里さんが大吉さんに勧めた本だった

さっそく県図書館で予約して借りた

3週間たち、次の予約が入ったので最後の方は走り読みしたが

東京のこともよいのだが

自分たちの住んでいる土地についても

同様な本を探してみたいものだ

増補改訂 アースダイバー

増補改訂 アースダイバー

 

 

唐長

伊勢型紙を彫り始めたのはちょうど2年ほど前だ

実はこの半年ほどは全く彫っていない

あまりに自分の技量のなさに行き詰まりを感じて

カッティングマシンにお任せとなった

3~4月は獣のようにマシンを操った

イラストレーターもかなりいろいろと技を覚えた

制作に関してあまりこの日記ではふれていなかったが

昨夜はかなりの衝撃を受けた

この本だ 

唐長 京唐紙

唐長 京唐紙

 

 じつはこの間ジュンク堂で次に紹介する本をみたのがきっかけだ

日本の文様ものがたり 京都「唐長」の唐紙で知る

日本の文様ものがたり 京都「唐長」の唐紙で知る

 

 さらには、県図書館でこれも借りたのだがこれも衝撃的だった

唐長の京からかみ

唐長の京からかみ

 

 

伊勢型紙そのものは、今では作品として紹介されたり

切り絵との親和性もあるように思われるが

どちらも「切る」ことによる「キリッ」とした線が魅力だ

しかしながら、からかみから感じる独特の境界線に心引かれる

また、そもそも伊勢型紙も染めのための一過程であり

仕上がった「小紋柄」は布の質感と共に絶妙の柔らかさが感じられる

この本も県図書館で借り続けているのだが誠にすばらしい

小紋文様 (伝統の染織工芸意匠集)

小紋文様 (伝統の染織工芸意匠集)

 

 ネット上の和柄文様のサイトや素材集は数多くあり

自分もイラストレーターを駆使してかなり再現できるようになったが

それらの美しさを否定するつもりは毛頭ないのだが

 

冒頭に紹介した本の巻頭に白州正子さんの次の文章がじつにすばらしい

「・・・・・一分一厘の狂いも許さぬものなら、機械を使ってもよさそうに思われるが、やはり人間の手でした仕事には、自然の柔らかさとぬくもりがあって、同じ文様の繰り返しの中に、いうにいわれぬ味が感じられるのである。(中略)

 だが、何といっても千田さんの唐紙の特徴は、先祖代々伝えた版木を大切に保存し、未だに使用していることだろう。全部で六百点ほど蔵されており、その一つ一つが見事な芸術作品である。きものなどの型紙などとは違って、厚さ三、四センチもあるしっかりとした版木で、深掘りであるほど使いやすいといわれた。材は殆ど朴の木で、朴は軟らかいため、木目が平均して減って行くのが長所だという。特に繊細な文様とか、鋭い線には桜の材を用いる。桜は堅木だからこまかいものに適しているのだろうが、はじめから減るのを承知で朴を使っているのは面白い。唐紙の文様は、たっぷりとしている方が美しいのであって、軟らかい版木と和紙と泥絵具と、それに人間の手が加わってひたりと調和した時、完璧な作品が生まれる。ここでいう完璧とは、必ずしも完全無欠というようなことではなく、日本の絵画や焼きものにに共通する、余裕のある美しさという意味である。古い版木の中には、ところどころ欠けたものがあって、構わず使ってみると、却っておもしろい味が出ると千田さんがいわれたのも、仕事に通暁した人のありがたい言葉であると思って聞いた。(以下略)」

1年間

記憶としては日曜日の早朝だったので昨日の方が実感がわくのだが

父が亡くなって今日でちょうど1年

先日法要は済ませているので今日は通常のお参りとのこと

少しずつ古い時代のことが消えていき

新しい動きが芽生えていく

新しい自分になりつつ、昔を振り返りたい