おとなしい一日

妻も私も風邪気味でおとなしい一日である

年頭に特殊担任のK先生より借りた本をようやく読み終える
三部構成であり一部は中学生、二部は小学生のそれぞれ事例報告
三部は医師の解説であったが、三部に行くまで悪戦苦闘した
医師の解説は「珠玉のもの」であり、何度読んでも感心させられる

多少長くなるが引用してみる

5 支援に必要な考え方
 (1)まず自閉症スペクトラム障害の特性からとらえる
 社会的ルールやコミュニケーションの理解不足、無邪気な自己中心性、こだわりや感覚面のアンバ
ランスなどを見ると、自閉症スペクトラム障害の特性をあまり知らない人であれば、単なるわがまま
で自分勝手な性格の問題や、あるいは両親のしつけや対応のわるさというところに、不適切な行動の
原因を探すかもしれません。もちろん、そのような解釈はまちがっています。しかし、私自身の臨床
的な経験では、非常に高い頻度でそのようにとらえられていると思います。
 隆君のケースでも、学校の先生のなかにこれと同様のとらえ方をしていた人がいて、本人や保護者
との関係がうまくいかなかった時期がありました。このような解釈をする人の多くは、不必要に厳し
くしつけようとしたり、自分のやり方を押しつけたり、あるいは自分や周囲の人を責めたりします。
そんなことを続けていても、適切な支援はいつまでたっても見つけられません。その結果、本人や保
護者との関係がギクシャクして、信頼関係を築くどころか、対立する構図に陥ります。
 (2)保護者との連携をきちんととる
 保護者は本人と過ごしている時間がいちばん多く、しかも幼少期からの経過も含めて本人の状態を
把握しています。好きなこと・嫌いなこと、興味・関心、苦手なところ、考え方の特徴など、本人に
ついての情報をいちばん把握しているのは保護者の方です。このことは当たり前なのですが、よく忘
れられたり、勘ちがいをされたりすることがあります。教師は教育の専門家、児童精神科医は障害に
関する専門家ではありますが、本人についての専門家ではありません。本人に関する専門家である保
護者を抜きに、支援を考えることはできません。学校や診察場面で見せる姿だけで本人の評価をする
と、まちがった方向に向かってしまうことがあります。保護者との連絡・連携をとり、正確な情報を
共有することがとても大切になります。
 そのさいの大事なポイントは、教師や専門家がちゃんと’「聞く耳をもつ」ことだと思います。保護
者の話を聞いていてもかたちだけで、内容を理解しようとしないのでは意味がありません。「聞く耳
もつ」ことは、言葉のうえで言うのは簡単なのですが、実際に実行するのは容易なことではありませ
ん。隆君の場合も含め診療の場面では、実際に学校の先生の一方的な解釈で対応され、こじれてしま
うケースをよく見かけます。自分勝手な思い込みで対応してうまくいかなくなっているときでも、た
いていの場合、「教師のほうも一所懸命やっているんです」と言いわけをされます。明らかに不適切
な対応をしておきながら、「頑張っているから」という精神論・根性論で片付けてもらっては困る問
題なのです。
 (3)大人の側の問題と「大切にしないといけないこと」
「クラスのなかでは何も問題がないので、特別なことはしていません」
「(自閉症スペクトラム障害という)レッテルを貼って、特別な対応をするほうが問題じやないです
か?」
 他の子どもと変わりませんよ。その子だけひいきするわけにはいきません」
以上は、比較的おとなしくて表面的には適応できている自閉症スペクトラム障害の子どもを担当して
いる先生とのやりとりのなかで、よく耳にすることのある話です。皆さんは、どのように思われます
か?
 わかりやすく考えるために、別の障害の例で考えてみましょう。たとえば、視覚障害をもち、全く
視力のない子どもがふつう学級のなかで過ごしているとします。本人に対して全く何の配慮もしない
教師がいるでしょうか? また、その配慮をすることが、その子だけひいきしていることになるので
しょうか? 点字で書かれている教科書を使ってあげたり、移動のさいの杖の使用許可をしたり、教
師の声が聞き取りやすい席を選んだりなどするのは、当然のことです。周囲の子どもにも、本人の状
態や支援方法について説明してあげることも、ごく自然なことだと思います。
 自閉症スペクトラム障害についても同様のことが言えるのではないでしょうか? 本人に必要な支
援をすることが、レッテルを貼る、ひいきすることになるなどと同じ次元で語られること自体が、奇
妙なことのように思います。ノーマライゼーションという用語をまちがったかたちで使って、「すべて
みんなと同じようにするべきである」と主張する人もいましたが、論外だと思います。
「頻繁に授業を飛び出すようになったのですが、どうしたらいいですか」
「パ二ックになるとなかなか治まらないので、対応に苦慮します」
「友だちから言われた何気ないことを、被害的にとってキレるので困ります」
以上は、問題行動を起こす子どもを担当している先生からよく相談される内容です。その内容を見
いくと、「問題がない」という理由でそれまでなんの支援も受けずに生活を送ってきたケースが非
常に多いというのが事実です。自閉症スペクトラム障害の人は、対人社会性、コミュニケーションに
関する適切な配慮や支援を受けることがないと、社会的なルールやそれを守ることの楽しさ、人とや
りとりすることの意味理解を学習できずに過ごしていくことになります。支援をしないまま放置して
いたのにもかかわらず、問題行動が出てきてから「問題行動をなくすための指導・対応方法は?」と
考える大人の発想そのものが問題なのです。
 大人の側としていちばん大切なのは、「指導」することでも「対応方法」を知ることでもありません。
問題行動があろうがなかろうが関係なく、「どんなことが苦手なのか?」「どんなことの意味がわかり
にくいのか?」「何に困っているのか?」について考えてあげることと、それに合わせた「支援」や
「援助」を早期からきちんとすることです。
 ちなみに、「学校の先生が、自閉症スペクトラム障害の子どもにどのように接しているのか?」に
関して他の子どもたちは非常に敏感でよく見ています。子どものことを指導しようとする先生のクラ
スでは、他の子どもも本人に対して「ちゃんとしろよ」といった指導的な発言が目立ちます。援助が
適切にされているクラスでは、子どもたちもじょうずに対応しており、本人の受け入れも良好である
印象が強いです。その意味で松永先生のクラス運営は、ほんとうにすばらしかったと思います。