先週読んだ本

賢く生きる―藤原肇対談集

賢く生きる―藤原肇対談集

著者のホームページもある
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/  宇宙巡礼

この対談相手は

正慶 孝http://www.amazon.co.jp/s?ie=UTF8&search-type=ss&index=books-jp&_encoding=UTF8&field-author=%E6%AD%A3%E6%85%B6%20%E5%AD%9D&page=1
Amazon.co.jp: 正慶 孝: 本

西原克成  http://www.nishihara-world.jp/index.html Nishihara World

岡田充 中国と台湾―対立と共存の両岸関係 (講談社現代新書)

寺川正雄(寺川会計事務所)

糸川英夫

首藤尚丈
http://www.tokeiren.or.jp/venture/venture/06diana/index.html
支援企業紹介|宮城県・ディアナサン株式会社
モナリザを解く―モナリザの黄金のダイヤモンド

倉田大嗣
http://www.h6.dion.ne.jp/~rikagaku/
倉田の非線形電磁気学と波動科学/Kurata's Nonlinear EM and WAVE SCIENCE

木村汎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E6%B1%8E
木村汎 - Wikipedia

小串正三(元フランス三井物産総支配人)

池口恵観http://www.saifukuji.or.jp/ekan.html

こうして並べてみるとそうそうたる顔ぶれである
個人的には西原氏との対談で「森鴎外」についていろいろと知ることができたのが大きな収穫であった
「明治の大文豪〟森鴎外の隠された真実」

軍医として

上記のとおり、鴎外は陸軍軍医であった。当時、軍事衛生上の大きな問題であった脚気の原因について細菌による感染症との説を主張し、のちに海軍軍医総監になる高木兼寛と対立した。自説に固執し、日露戦争でも兵士に麦飯を支給するのを拒んだ(自ら短編「妄想」で触れている)ため、陸軍が25万人もの脚気患者を出し、3万名近い兵士の命を犠牲にしたことに対して責任があるとされる(同時期、高木の指示で兵員に麦飯を支給していた海軍では脚気患者は軽症者がわずかに発生したのみで、死者は無しと伝えられる)。「ロシアのどの将軍よりも多くの日本兵を殺した者」との批判すらある。日露戦争終戦直前、業を煮やした陸軍大臣寺内正毅が鴎外の頭越しに麦飯の支給を決定、鴎外の面目は全く失われた。「予は陸軍内で孤立しつつあり」とは、この頃の鴎外の述懐である。

後に鈴木梅太郎脚気の特効薬であるオリザニン(=ビタミンB1)を発見し、オリザニン脚気との因果関係が証明されて治癒の報告が相次いだ後も、かたくなに鈴木と学会の見解を誤りであるとして糾弾したとも言われており、医学界での孤立をますます深める結果になった(結局、鴎外は死ぬまで「脚気は細菌による感染症である」との自説を撤回しなかった)。

鴎外を擁護する立場からは、下士官・兵達の「入隊したからには白米を食べたい」という声があった(脚気の歴史)ことを考慮すべきとの説が出されている[11]。実際に当時の麦飯は、現在のものと違ってたいへん臭くて不味く、囚人や貧乏人の食事とされていた(俗に言う「刑務所の臭い飯」というのは、この麦飯のこと)。また、麦飯食を推進した高木兼寛は、都市衛生問題で「貧民散布論」を提案し、東京から貧民を追い出すべきとの非人道的な主張もしており、その「貧民散布論」を批判したのが鴎外であった。ただし、その鴎外も、都市衛生問題への対処に具体案がある訳では無かった。

そうした白米への憧れや麦飯のひどさ等を無視し、医学的観点だけから考えれば、上記の鴎外擁護論は批判されよう。これに対して医学的観点に固執しなければ、鴎外擁護論に根拠が無い訳ではないと言えよう。
森鴎外. (2007, 7月 13). Wikipedia, . Retrieved 14:52, 7月 15, 2007 from http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%A3%AE%E9%B4%8E%E5%A4%96&oldid=13638907.