怖い絵

午前中に妻と久々にジュンク堂へ行く
なぜか空いており、店頭の検索マシンで「話題の本」を探る
そのなかにこれがあった。たしかhttp://bluediary2.jugem.jp/さんのページで「+RECOMMEND」だった気がしたので
さっそく手にとって立ち読みをした

怖い絵

怖い絵

本のつくりがよい(図版はカラーである ページをまたがる場合がありちょっと不満もあるが)

これまで、ドガのこの絵を怖いと思ったことがないのが、まずはじめにこの絵の話でガツンとやられる(これで即買い)http://www.musee-orsay.fr/en/collections/index-of-works/resultat-collection.html?no_cache=1&S=1&zoom=1&tx_damzoom_pi1%5Bzoom%5D=0&tx_damzoom_pi1%5BxmlId%5D=002084&tx_damzoom_pi1%5Bback%5D=en%2Fcollections%2Findex-of-works%2Fresultat-collection.html%3Fno_cache%3D1%26S%3D1%26zsz%3D9
Musée d'Orsay: Collections catalogue - search results

もっとも驚いたのが「ルーベンス-我が子を喰らうサトゥルヌス」である
ゴヤのものはきわめて有名であるが、こちらとの比較で話を進めるあたりが凄い
じつは、ルーベンスの作品は参考図版で白黒印刷であったがために、凄い迫力を感じたが

さすがルーベンス、リアルで鬼気迫る情景を練達の筆で描ききり、その「うまさ」に感嘆せずにはいられない。しかもこれはこれで十分怖い。ただし恐いとはいっても、肌を這うほんものの恐怖とは違い、舞台上で演じられる劇を見るのに似て、決して観客にまで襲いかかってくる心配はないとどこかで安心していられる。神話中の戦慄すべきエピソード、古典的に優雅に表現された、いねば美的な恐怖を鑑賞できる。
 二作品とも縦長で大きさもほぼ同じ。おそらくゴヤルーベンス作品を意識して、こういう形にしたのであろう。だがルーベンスの、全身きちんと枠内におさまり、ポーズをとった彫刻のごとく静止したサトゥルヌスに対して、ゴヤのは、勢いあまって半身が画面からはみだし、足元は闇に溶けている。ダイナミックに明暗が対比されるとともに、人物の輪郭は歪んで崩れている。崩れることで異様な迫力を増している。(中略)
 しかしなんといってもサトゥルヌスの眼が違う。ルーベンスのは政治権力そのものの具現化ともいうべきヽ知的で老獪、何を犠牲にしてもやるべきことはやるとの、非情、冷酷な計算を働かせる支配者の眼で、もちろんその冷え冷えした無感情にも背筋は凍るが、決して人間の理解の報時を超えるものではない。一方ゴヤのサトゥルヌスは、畜生道に落ちた者の眼である。顔も身体も溶解し、壊れかけているのと同じく、頭の中、精神そのものまで箍が外れてしまったのが、飛び出た眼から感じとれる。我が子を喰らうという極限のこの姿は、地獄を見た者にしか描けないと思わせる。(P106〜108より引用)

本の中の白黒図版では、ルーベンスの作品を恥ずかしながら初見ということもあって、結構凄いなぁと思ったのだが
ネット上でカラーズ版で見た私の違和感はここにあったのかもしれない。

我が子を喰らうサトゥルヌスのほんとうの怖さは、単に我が子を喰らっているからではない。そうではなくて、サトゥルヌス自身が感じている恐怖、それが錐もみ状に見る者の胸に突き刺さってくるから怖いのだ。
 サトゥルヌスは自分の子どもを喰らわずにはいられない。それが彼の宿命である。(P112より引用)

そして著者はこのように締めくくる

 昨今、親の子殺しがマスコミをにぎわしている。ふと思ったのだが、彼らはこのサトゥルヌスの絵を知らないのだろうか。もし一度でもこの絵を見たならば、自らの浅ましい姿をサトゥルヌスに重ねずにはいられないはずだし、ひとつの抑止力にはなるような気がするのだが……。

こんな感じで、20もの作品について、読みやすく且つ、鋭く、美しくまとめ上げられた文章に感動した。
例えが適切でないかもしれないが、辻惟雄さんの「奇想の系譜」「奇想の図譜」に通じる作品発掘とも思える
いわば西洋版ともいえなくはない 
自分を含め私たちはステレオタイプな絵画の見方などに踊らされているかもしれない
画家のメッセージをしっかりと受け取っていたのだろうか?
私たちの「見る態度」「視る眼や目」こそ「怖い」と思える


ちなみに、著者のブログを発見!
http://blog.goo.ne.jp/hanatumi2006 中野京子の「花つむひとの部屋」
さっそくアンテナに登録した