官邸崩壊

官邸崩壊 安倍政権迷走の一年

官邸崩壊 安倍政権迷走の一年

 先週珍しく、三省堂書店に行った。なんと袋が白に変わっていた
自分の記憶では、高校時代に名古屋にこの書店が進出して以来初めて色が変わったようだ
<細かなデザインは別として……>
さて、いつものごとく駐車券を提供してもらえるように5000円を超えるように購入した中に
この本がある
自分としては珍しいジャンルである

読んで知ったことの一つとして
塩崎恭久官房長官坂本龍一が高校の同級生だったことだ

 塩崎は、保守派で固められた安倍政権の中にあって異質な存在であった。昔からリベラルであり、政権入りすることで多少の妥協は余儀なくされたものの、政治信条を根底から変えることはなかった。
 都立新宿高校時代の一時期、塩崎は左翼運動に走る。同級生の坂本龍一と一緒だ。日本を代表する音楽家で同じくリベラルな人物と見られている。その坂本とはいまだに交流を持っている。  P52より引用

なるほど、ご自身のHPでもこう書いてある

…そのときに同じクラスだったのが坂本龍一なんですよ。あいつと僕とさぼりまくっていた。

…僕は。実は彼と小・中・高と同じなの。中学のときもブラスバンド部で一緒だった。僕は部長で、彼は、年下で。高校は一年留学したから同じ学年になり……
http://www.y-shiozaki.or.jp/profile/interveiw/index.html 塩崎やすひさ プロフィール-インタビュー より引用

村上龍・坂本龍一総合情報局というのがあって、そこの掲示板にはこのような情報があった

http://vockc.dyndns.org/skmt/sbbs/viewtopic.php?topic_id=986&forum=3&res=5
坂本龍一 掲示板 // 塩崎恭久氏、官房長官として初入閣

http://www.y-shiozaki.or.jp/livereport/detail.php?id=306  塩崎やすひさ やすひさライブレポート

http://www.y-shiozaki.or.jp/profile/maruhi/index.html 塩崎やすひさ プロフィール-マル秘情報

http://www.y-shiozaki.or.jp/oneself/index.php?id=237 塩崎やすひさ やすひさの独り言

なんと、彼の著書の帯には坂本龍一の推薦の言葉まで…
http://www.y-shiozaki.or.jp/profile/books/index.html



 さて、話が随分とそれたが、教育三法改正?や教育再生会議などについても
P112より「迷走する教育改革」として、10ページほど書かれている。
これまで、断片的に報道されてきたことを、このようにまとめて読む機会はありがたい

この種の会議にしては、民間委員が17人というのはあまりに多すぎたのである。座長の野依が、各委員の発言前に釘を差す。
 「お1人、3分でお願いします」
 それでも発言が長引くと、野依はサッカーの試合で、審判が選手に向かってイエローカードを出すがごとく、オレンジ色の紙を掲げる。そこにはこう書かれているのであった。
 「3分経ちました」
 さすがに委員の中にも、会議に対して危機感を抱く者が現れはじめる。2006年11月、渡辺がついに痺れを切らした。
 企業でいえば、これはダメな会議の典型だ。なすべきことと理念が混ざっていて、方向性が決まらない。いったい何を決める会議なのか。テーマを決めるべきだ。 多忙なスケジュールをなんとかやりくりして参加している委員らにとって、会議の進め方に不満があるのは当然であった。渡辺は長い間苛立っていたのだ。P115〜116

実はすでに12月の初めには、塩崎と下村が、教育再生会議への不安を語り合っていた。
 「教育再生会議のメンバーの方々は誤解をしているのではないか」
 不安は的中した。委員たちは誤解していたのである。その理由は山谷の説明不足にあった。教育再生会議国家行政組織法8条によって設置されたいわゆる「8条委員会」である。より強力な権限を持ち答申を出す「3条委員会」などとは異なり、その結論はなんら拘東力を持たない。だが首相の出席する様子をみて、そうした規則を知らない一部の委員たちが、勝手に会議の権限を拡火解釈してしまったのである。P119より引用

 「………7月の参院選までに何らかの目玉の政策を出さなくてはならないのだ」
 安倍の目には選挙しか見えていないように、ハ木には映った。
 急ぐあまりに、教育再生会議からは教育制度を改革するという当初の志が失われる。ひたすら会議を進め、中教審に意見を送ることが目的となる。そのために安倍自ら掲げて、教育再生会議に託したはずの主張、「9月入学」と「バウチャー制」すら回収している。議論を呼ぶ可能性の芽は、早めに摘んでおかなければならない。つまり内容は二の次ということなのだ。
 本来、教育再生会議を主導するのは、議長の野依か、山谷の任務であった。あるいは担当室長の義家の責任であったかもしれない。だが、実際はその誰もが任を果たしていなかった。控えめな言葉で評しても、彼らは会議に対して無責任であった。会議を先導したのは他でもない部外者である下村だった。第1次報告書が陽の目を見だのは、もっぱら下村の腕力によるものである。文科省、与党、そして文教族について、どういった方針で迫るか、という政治的な問題を扱ったのは下村と官房長官の塩崎だった。そこには、安倍が教育再生担当首相補佐官に任じた山谷の活躍はなかったのである。P122より引用

にもかかわらず、山谷某が再任されたことは、いったいどのような意味があるのだろうか?
ちなみに、8条委員会とは?→http://vic-si-e-financial.g.hatena.ne.jp/keyword/8%E6%9D%A1%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A
vic-si-e-financialグループ - 8条委員会