「滝山コミューン一九七四」

このところまったく読書についてはここに書いていなかった
いったん書きもらすと、どこから書いてよいのか躊躇しているうちに
ここまで来てしまった。(たしかに一時ほどの読書量はないのだが・・・・)

11月の上旬にこのような記事を見て、「滝山コミューン一九七四」をジュンク堂に注文をした。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20071010/137255/
「みんな」の学校に背を向けて『滝山コミューン一九七四』 (超ビジネス書レビュー):NBonline(日経ビジネス オンライン)
(それすら、1ヶ月ぎりぎり店頭に取り置きしていただき、ようやく手元に来たのは12月中旬である)

さて、自分とそれほど年齢が違わない著者と、ほぼ同時代の教育を受け
なおかつ、ながらく「班」だとか、「班長(リーダーという場合も多い)」「班員」といったものを
組織してきた職に就いていただけに、なんともやりきれない気持ちであるとともに
これまで、こうした視点は積極的に取り上げられなかったという気がする
(もちろん、そのような本を自分が読んでいなかったのかもしれないが)

自分が感じたこととして、著者のように中学受験をするために
小学校と多少距離を置くことができた人の視点というのは
あまりにも当然すぎて、それよりも公立学校にしか身を置いておらずに
その中で「違和感」を感じる視点はないのだろうか?
もちろん、不登校や非行などいわゆる「ドロップアウト」という形でなく
「外見上は一応従っているようなふりをしていても、妙な違和感を感じつつ、しかし、明確な反駁もできない」という視点もありえることだ(むしろ大多数がそうかもしれない)

さらに、いうならば「なら、どうして欲しかったんだ!」
「どうするのがいいと思うのか!」
その答えを私も求めなくてはいけない

滝山コミューン一九七四

滝山コミューン一九七四

附記:この本について取り上げられている、はてなダイアリーが118件もあった
かなり驚きである。また、本書でも取り扱われている「全生研」のホームページがあった
そこからリンクで、現在の会長をしてみえる愛知教育大学の折出健二氏のHPにたどり着いた
http://zenseiken.web.fc2.com/ 全生研
http://homepage3.nifty.com/empowerment/ welcome.htm(愛知教育大学の折出健二氏のHP)
引用させていただくと

ふたたび、「滝山コミューン」との対話

下欄のように、『週刊現代』10月13日号、「リレー読書日記」で小著が取り上げられました。執筆者は、原武史氏。

見開き二ページのうち、後半の三段半のスペースで、主に、大西忠治氏の書簡に対する原氏のコメントの形で書かれています。
集団を「もの」としてみる大西氏の集団観、また書簡の文体から感じられる大西氏のある種の傲慢さを取り上げて、この「実践論」と、マカレンコ以来の集団主義とは体質的につながっているのではないか、そこには「班」に象徴される日本型ミリタリズムの体質ともつながるものがあるのではないか。

そのようなトーンで書かれています。原氏ならずとも、わたしのこの地味な小著の中でこうした大衆的雑誌の「書評」コーナーで話題に取り上げるとなると、たぶん、この書簡が物語るテーマになるだろうなと、わたしも予想はします。

わたしが、この書簡編を入れるつもりになったのは、戦後教育実践研究の流れにおいて、実践家と研究者の間での論争があれこれあったはずなのに、そうしたものが殆ど記録化されず埋もれていくことに疑問があったこと。また、わたしはけっして大西忠治氏という人物を憎んでも敵視もしておらず、居酒屋においてさえ共に飲みながら若いわたしと「資本論」や「弁証法」の話につきあいながら、それでいて研究者の、実践からの遊離の傾向を常に批判してきた、根っからの実践家として、論争するにふさわしい相手(年配者)として敬愛していたということ。

にもかかわらず、大西理論では、次のことが論理として弱いか、抜けていること。すなわち、集団というのはその単一組織の関係だけでは捉えてはならず、関わりのある特定の人々という他者との関係性を重視すべきであること。また、そのような自己形成とは他者と共に何かを学ぶことで自己が解放されていく達成意識なのであること。そして、こういう共同無くして学びも自治も成立し得ない、というマルクス的な共同論が抜けていること。

言い換えれば、ある誰だれという他者の他者として(わたしという個が)「意味のある立場に立つ」(鷲田清一)ときに、自己の社会的関係世界が生まれ、また内実のある共同の世界が築かれていくということ。

あれほどに実践的に「集団つくり」(大西氏はけっして「づくり」とは呼ばなかった)を追求した大西氏でさえ、上述の共同性、自己他者の関係性が十分に認識されてはいなかったのです。

その最大の理由は、大西氏が、−−当時の理論状況ではある面で必然的だったのでしょうが−−「共同」「関係性」「相互性」といった、集団論に不可欠の概念を持っていなかったからです。ないしは、当時はそういう概念を心理主義、あるいは反・集団主義として追いやっていたからです。ヘーゲルが言うように、ものごとは、概念を持たねば見えないし、認識されないのです。概念を獲得してこそ、物事の物事たり得る本質が見えるからです。

その意味では、大西集団論の弱さよりも、戦後の、60年代、70年代の教育研究の主要概念の限界性によるものではなかたのでしょうか。

わたしは、そのことを「往復書簡」をして語らしめることができれば、次に続く若い研究者にも何かヒントになるのでは、と思ったのです。(10月2日 記)

人間的自立の教育実践学

人間的自立の教育実践学

市民社会の教育―関係性と方法

市民社会の教育―関係性と方法

前述したように、私たちのような職にあるものは、何らかの形で「班」に関わりをもっただけに
この本は読んでみる必要がありそうである。