愛知県図書館で借りてきた「鳥獣草花図屏風」

伊藤若冲 鳥獣花木図屏風

伊藤若冲 鳥獣花木図屏風

美術書というのは、なかなか高価でかつてはお金を惜しまず買うことを旨としていたのだが
いつまでもそうはいっていられない。図書館にはこうした私の心を見透かすように
興味をそそる美術書が山のように埋もれている
こちらも先日の土曜日に借りてきていたのだが、前掲書の気になる記述に対してこう答えてあった

ところで、もっとしょっぱい気分になったのは、この本の”描法細見? 若冲若冲工房「枡目描き」の技法から”という章を読んだときである。佐藤さんは、従来からこの『鳥獣花水団屏風』の類品として知られている『白象群獣図』(個人蔵)と、『樹花鳥獣図屏風』(静岡県立美術館蔵)を比較する。落款があるのは『白象群獣図」のみで、これが若冲その人が隅々まで描いた作であろうことに、私は異論はない。だが、佐藤さんは、プライスさんの屏風と静岡県立美術館の屏風を比較して、次のように言う。
 『静岡県立美術館の屏風は、………(中略 前掲あり)………工房作というにはあまりにも若冲面との落差が犬きいので、稚拙な模倣作というべきだろう。』
 この本を手にとり、精細な部分図に感嘆して、私の文章をここまで読み進めた方は、ショックを受けられたのではないか。佐藤さんは、私など足下にも及ばない、精密な若冲研究を手がけてきた研究者である。私は、大学の数年先輩である佐藤さんの若冲に関する研究論文を読んできて、その成果にいつも眼をみはらされてきた。とくに、かつて小学館から『新編名宝日本の美術』という全集の一巻として一九九一年に刊行された『若冲蕭白』という本(残念ながら絶版で入手困難)は、従来の若冲研究に一石を投じる重要なものだった。
 その佐藤さんが、この絵をくすべてはゆるみきって凡庸である〉とか〈稚拙な模倣作〉などと評する。この本の編集にかかわり、この屏風を何度もガラス越しではなく、それこそ面面に目玉がくっつきそうになるような距離で熟視した私には、ここで責任をもって佐藤さんの意見に反論する責任がある。
 結論から先に言えば、私は静岡県立美術館の屏風と、プライスさんのこの屏風のクオリティについて、佐藤さんとはまったく逆の見解をもっている。静岡の屏風については、「緊張感に富んだ形態はまったくなく」「すべてはゆるみきって凡庸である」とまでは言わないが、「かなり緊張感が乏しい形態」で、「若冲のつくりだした形態を弛緩させたような凡庸さ」があると思っている。そんな実感は、ごく最近、静岡県立美術館であらためて実見した析に、再確認した。ディテールの「ゆるさ」や、高価な絵具を薄めたケチりかたを見れば、そんなことはすぐわかると思
うのだが……佐藤さん、どうでしょう?
 さて、このニOO六年、私と佐藤さんは、このように真反対の評価を下しているのだが、それとある意味で相似形の状況は、いまだこの『鳥獣花木図屏風』の存在を知る人がほとんど皆無に近かった、三〇年ほど前にもあった。(以下)

何だか分かったような分からない言い分だが………
これによると、小林氏が1981年、東京国立博物館が発行する機関誌「ミュージアム」359号に発表した『伊藤若冲独創の逸格描法について』という論文が、すべての出発点だったそうだ。
この本の著者である、今をときめく山下祐二氏が、最近小林氏と対談したときのもようが書かれている

山下「先生が1971年に東京国立博物館で企画された若冲展には、あの屏風は出ていませんよね?」
小林「そうです。そのころはまだ誰も見ていなかったでしょう。」
山下「でも、あの屏風はずっと東京国立博物館に寄託されていたんですよね?」
小林「たしか、階段の踊り場に、箱に入れられて置いてあったと思います。若冲展のあと、これはおもしろいと思って、常設展に出そうと思ったんですが、当時の上司に、あんな下品なものは出すな、と言われました。」
山下「先日、プライス邸に行って、あの屏風には、おそらく先生の筆跡による『若冲筆鳥獣図屏風武内家』というラベルが貼ってあるのを確認したんですが………」
小林「そうですか、覚えてませんが、きっと私が書いて貼ったものでしょうね」
山下「その後、先生が(1981年)論文を発表されて、世に知られていくようになるわけですよね」
小林「私が論文を発表した直後、京都の古美術商・柳孝さんが所蔵者から買われて、その後、プライスさんのもとに渡ったわけです。」

1970年代、東京国立博物館の上司は「あんな下品なもの」と言ったという。その絵が、この2006年、アメリカから里帰りして、その頃にはなかった東京国立博物館の平成館に展示された。皮肉なものだ。

結局、山下氏は、佐藤氏の指摘に対しては、今ひとつよく分からない形でしか反論していないがどうだろうか?
まぁ、直接対決を待つしかないか?