誰がバカをつくるのか?―「学力低下」の真相を探る

先日三省堂書店を訪問した際、平積みで数冊あったので思わず買ってしまったが
ここ数日ですぐに読めてしまった

誰がバカをつくるのか?―「学力低下」の真相を探る

誰がバカをつくるのか?―「学力低下」の真相を探る

学力低下に関する本は結構読んだのだが、このような切り込みははじめてである
この本の軸となるのは、大学入試の難易度のように私は読み取った
そして教育政策の主力はもっとも反抗勢力の弱い義務教育に向けられていることは
すでに自明の事実であるが、そのことを丁寧に説明している
各種マスコミで偉そうにコメントしている大学教授などの滑稽さを
あらためて糾弾しつつ、それらに踊らされて誰でも一家言を教育に持っている現在の状況を
あらためて検討する必要があるように感じる

世に咲き競う教育論議の論者の多くが
自らの成功体験、合格体験或いはその反対に挫折や失敗体験をよりどころにさまざまな論を述べるのだが
この本では、戦後間もない時期から入試難易度や入学定員などの問題などを考慮したうえで述べているところに
類似の学力低下の問題を論じた書とは一線を画し新鮮に感じる

多くの人々にとって都合の悪い、或いは気分の悪い指摘がたくさんあるように感じる
故におそらく大きく取り上げられることもないだろうし
言葉は悪いが「闇に葬り去れる」可能性は十分にあるであろう

学力低下の問題でかならずと言っていいほど引用される、分数のできない大学生についての問題をこのように看破する

………このとき、大学の教員は、まさに自分たちが選抜した新人に初歩的な分数の問題を唐突に解かせ、これに失敗した人間の能力がいかに劣っているかを喧伝し、高校、中学、小学校のカリキュラムに責任をなすりつけました。
 どのような組織であれ、自ら選抜した人材が劣っていると公言したならば、返ってくるのは、「そんな人材を取らなければいい」という反応です。それほど、「初歩的な算数」が重要ならば、京都大学二次試験に「初歩の算数」の試験を実施すればいいのです。結局、彼らが騒いでいる「学力低下」の実態とは、以下のようにほとんど幻想であるか、自らが蒔いた種、といえます。<問題点1> 少子化がはじまってもなお定員が変わらなかったために、以前に比べて学力の低い層が入学するようになったから、学力が低下しているように見えた<対応策1>教員に早期退職を呼びかけ、大学の定員を適正規模に縮小し、入学者の数を絞り込む<問題点2>あまりにも試験一辺倒の入学審査をしてしまったために、入学と同時に学ぶ意欲を失う学生が続出し、3年生の段階で学力が極度に低下している学生に直面するようになった
<対応策2>専門課程に進むに足る学力でないと判断するならば、単位を認定せず留年させる仕組みをつくる。私立の理系や法学部では極めて留年率の高い大学があるので、それを見習えばよい


<問題点3>基礎的な学力が崩壊している者が国立大学に入学するようになった
<対応策3>入学試験に「総合基礎学力」という科目を設けて分数の問題を出せばよい


子どもの「学力低下」を考える際、「子どもの学力が低下した」、つまり子どもが「バカ」になったという大学の教員のことばに私たちは耳を貸すべきではありません。
 なぜならその責任の大半は、概ね大学の教員自身にあるからです。大学の教員たちの根底に流れる手抜き意識によって生じた「問題」に自らが翻弄されるのは勝手ですが、「バカ」を増やし、「バカ」を作り出しているのは自分だという自覚を最低限持っていてほしいものです。