読み終えた「天地人」(上)(下)

上巻はなかなか面白いです
とくに、「義」を重んじる彼の生き方に感動した

「わが上杉軍はただの軍勢ではない、義によって戦う漢の集まりであることを、みなに思い起こさせよう。利で結びついた集団は、武田軍がそうであったように、脆く崩れやすい。織田軍とて同じだ。そこにこそ、ただ一点、われらのつけ入る隙がある」P298

天地人〈上〉

天地人〈上〉

また、「覚上公御書集」という、明智光秀があらかじめ謀反の計画を知らせていた可能性の高い記述のある文書をはじめて知った。
なんと、その時歴史が動いたの第101回「本能寺の変〜信長暗殺!闇に消えた真犯人〜」でも紹介されている
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2002_07.html#04

下巻は、いまいち・・・・・というか、さらりと時間が流れていく感じである
どのシーンももう少し、詳しく書いてほしいのだが・・・・・という物足りなさが残る
まだ越後にいるときの2人の会話

真田家には、格言がある。
 『人は利に誘われれば、忠義の心も、死の危険も忘れる。』
 というものである。
 人間の心は弱い。目の前に甘いエサをぶら下げられれば、最初は拒否していても、やがては我慢しきれずに食らいついていく。剥き出しの欲望の前では、いっさいのきれいごとは通用しない。
 「それが、人だ」
 と、真田昌幸は息子たちに教えていた。
 かつて、幸村の祖父幸隆は、この人間の本性をたくみにつき、難攻不落をうたわれた村上義清戸石城を、敵の内部分裂を誘うことによって陥落させた。
 人は利によって動く。
 その欲望のありかを冷静に見きわめ、利用せよというのが、幸村が一族代々の戦いのなかから得てきた教えであった。
 幸村の目の前にいる上杉家の若き家老は、幸村がいままでに耳にもしたことのない言葉を吐いた。
 「たしかに、人は利で動くものだ。だが、それだけではない」
 「と、申されますと?」
 「人はときに、利を超えた志のために動くことがある」
 「それが、義……」
 「そうだ」
 兼続はうなずき、はるか海のかなたに目をやった。

 「もし、あれに子供が溺れていたとする。助けたとしても、一文の得にもならぬ。武名が上がるわけでもない。しかし、助けをもとめる子供をほうっておけるか」
 「できませぬ」
 「そうであろう。心ある者ならば、ためらわず海へ飛び込む。そのとき、その者は利によって行動するわけではない。へたをすれば、おのれが溺れ死ぬ危険もあるというのに、人は子供を助けずにはいられない。それが、義の心だ」
 「…………」
 「この乱世、人は欲するものを手に入れるためなら、平然と主を裏切り、朋輩を出し抜き、親兄弟でさえも殺し合う。しかし、その果てに何かある。人の欲望にはきりがない。手に入れても、手に入れても、けっして心が満たされることはない。利を離れ、志に向かって突きすすんだとき、人ははじめて真に生きたと実感できるのではないか」
 「たしかに……」
 「われらは獣ではない。人だ。利を追いもとめながらも、心の底では、それだけに振りまわされることをむなしいと思っている。不識庵さまは、義の旗じるしをかかげることによって、生きることの意味をみなに問いかけたのだ」
 兼続の言葉は、十九歳の幸村の胸にみずみずしく沁み入った。
 (そのような考えが、この世にはあるのか)
 利を追いもとめる人間の欲望を巧みにつきながら、乱世をわたってきた真田一族には、まったく存在しなかった価値観である。
 「義をとなえることは、たしかに不利だ」
兼続は言い、
 「ゆえに誰もが義の心を忘れ、利に走る。しかし、難しいからこそ、それは光り輝く。義をおこなえば、目先の利を追うだけでは得られない、人の信用を勝ち取ることができる。そうではないか」P14〜16

その後兼続は、直江津の湊へ連れて行き、越後の豊かさを実際に幸村に見させる

兼続「不識庵上杉謙信さまは、私利私欲なき義将とうたわれたが、その力は、青苧や金銀山がもたらす利によって支えられていたのも事実だ」
幸村「利なくしては、義もまたなしと……」
兼続「そういうことになろう」「義をおこなうには、利を使わねばならぬ。だが、それはけっして卑しいことではない。大事なのは、利に目をくもらされてはならないということだ。利は手段であって、目的ではない。その信念を忘れなければ、人として背すじをまっすぐに伸ばして生きていくことができる。」P18

クライマックスで大阪の陣直前の密会での会話

兼続と幸村は、それきり何も言わず、ただしずかに杯を重ねつづけた。言葉にはしなくても、酒を飲んでいるだけで、万言をつくす以上に心が通い合った。
 ひとりは、愛という思想のために、あえて泥をかぶり、厳しい”生”の道を民とともに歩むことを選んだ男。
 もうひとりは、みずから信じる義をつらぬき、清冽ではなやかな”死”の道へ突きすすもうとしている男。
 兼続の教えを受けた幸村の義は、たんに豊臣家に忠義を尽くすということではない。徳川幕府―すなわち、天下の覇権を握った巨大な権威に対し、 (力がすべてか……) と、みずからの命をかけた行動をもって、挑戦状をたたきつけることでもあった。
 むろん、兼続は幸村の心中を誰よりもよく理解している。おのれの双肩にかかった上杉三十万石がなければ、迷いなく幸村と同じ道を選んでいた。
 しかし、結果として上杉家を関ケ原の敗戦に巻き込ませ、いまの苦境をまねいた責任を感じる兼続には、死の美学に殉ずることは許されなかった。
 「愛の旗が、たなびいていたそうにござりますな」
 酒を含みながら、幸村が言った。
 「とは?」
 「先だっての、鴫野、今福のいくさのときでございます。佐竹の救援にあらわれた上杉軍に追い立
てられた後藤又兵衛どのが、刀ハ毘沙門、紺地目の丸の上杉家伝来の旗とともに、白地に墨で大き
く愛と書かれた旗を見たと申されておりました」
「…………」
「山城守どのはたしか、兜の前立てにも愛の一文字を用いておられましたな」
「さよう」
「山城守どのにとって、愛とはいかなる謂にございます」
 かつての春日山城時代にもどったかのように、幸村が聞いた。
「それは、民を深く憐れむ心。すなわち仁愛だ」
「仁愛……」
「わしは長い戦いのはて、仁愛のなかにおのれの義を見つけた。わが名は、後世に残らずともよい。これよりは、民への愛にこの身をささげよう」
「愛とは、強き言葉にございますな」
「そうあるべきものと、信じている」
 兼続は晴れ晴れとした表情で言うと、ふたたび酒を飲み干した。
 ハスの葉が揺れる巨椋池が、夕映えに染まるころ。
 二人は別れを告げた。
 白河原毛の駿馬にまたがった幸村が深く一社し、堤の上に道を駆け去るのを見送ってから、兼続は舟に乗った。P413〜414

ところで、「天地人」とは「天の時、地の利、人の和」だそうな・・・・・P122

長い引用となりましたがお許しを!

天地人〈下〉

天地人〈下〉