731

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 先週の月曜日、朝のワイドショー(スーパーモーニング?)で鳥越俊太郎731部隊について
現地取材を織り交ぜて、いろいろレポートしていた
どうやら、夏のお盆頃の特集番組の焼き直しのようだったが

人体実験を鳥越が取材
テレビ朝日
 「731部隊“封印された真実”現地取材 “闇の系譜”に鳥越が迫る」
(12日後2・00)
 鳥越俊太郎がキャスターを務める「ザ・スクープ」の特別編。中国で細菌による人体実験を行った旧関東軍731部隊の活動に、軍全体が組織的に関与していた可能性を、新たに見つかった極秘文書から検証。犠牲者の遺族に、鳥越が中国・ハルビンでインタビューする。
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/tv/20070807et01.htm
東京裁判731部隊に迫る : TV : エンタメ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

自分は初見であっただけに興味深く拝見した
80年代初頭、森村誠一さんの本で大きな話題となり、自分もむさぼり読んでそれなりの知識としてはもっていても
その番組で「その後の軍医たち」の戦後の生き方についてあらためて指摘されると
今の自分を覆うさまざまな「闇」を感じた。
その日さっそく、ジュンク堂へ行って「怖い絵」私はフェルメール 20世紀最大の贋作事件
とともに買ってきた。

さて、本書は、731部隊のさまざま人物の戦後を記しているが、その中心になるのが石井四郎である。私が気になった戦後の彼らの生活についてはこのような記述がある

誰もが食べていくのに精一杯だった。後に「細菌戦エキスパートとして雇っていただきたい」とフェル博士に売り込み、「ソ連との戦争準備のために、私の二十年にわたる研究と実験の成果をアメリカに提供できるのです」と熱を込めて自己宣伝をした石井にしても、生き延びる方法を摸索していた。
 石井四郎の「終戦メモ1946」に見えてくる戦後の石井は、驚くほど普通で小市民的な人間だった。ノートを記しているのは、母親の電気コタツを心配し、子供の教育に心を配り、軍属に補償金を支払おうと奔走する元軍医だった。かつての大地主としての権勢もなく、既に土地を失い、借金を抱える実家の生計を案ずる石井の姿がそこにある。
 マッド・サイエンティストと呼ばれた男は〈生活基準の決定〉を考え、〈教育指導方針 及 教育費の研究〉などの雑事にかまけながら、戦犯になる可能性におびえ、尋問に出るかどうかの選択を迫られ苦悶していた。
 そのことをあらわす不可解な表がノートの最後の頁仁記されてあった。そこには石井の揺れ動く心情、何事かを計算しようとする姿がある。<P352〜353より引用>

細菌戦という「禁断の兵器」に取り憑かれた野心ばかり大きい軍医は、満州に足がかりを掴んだ関東軍の破竹の勢いとともに時流に乗った。肥大化した野心、満州という占領地、そして戦争へ突き進んでいく時代の異常さという要素がなかったら、「禁断の兵器」がこれほど旧帝国陸軍を動かすこともなかった。
 「最強国家が細菌戦の準備を行っており、もし、日本がかかる準備を行わないならば、将来戦において日本は、大きな困難に遭遇するであろう」
 ヨーロッパ旅行から帰国した後、こういって触れまわる石井の言葉に乗せられた陸軍参謀部もまた「禁断の兵器」の誘惑に取り憑かれたのである。
 石井の勧誘のまま平房の本部へ呼び寄せられた京部大学医学部の研究者たちも、同様に、「禁断の兵器」の誘惑から逃れられなかった。
 しかし問題は、日本の敗戦後、「禁断の兵器」に取り憑かれた妖径たちが退治されることなく温存されたことである。細菌兵器のあらがいがたい誘惑が次には戦勝国の軍人たちに乗り移って行った。
 石井四郎は細菌戦に手を染めたからこそ、生き延びたことを知っていただろうか。権力を握るものにとってあらがいがたい細菌戦の誘惑がマッカーサーに取り憑いたため、厚木飛行場に到着した時、かれはこう発したのである。
 「ルーテナント・ジェネラル・イシイはどこにいるか」
 その後、マッカーサーが、石井が自宅に戻ることを許し、かれを匿いつづけたのは、「禁断の兵器」の強い誘惑のせいだった。
「ジェネラル・イシイの研究はどうしても手に入れたい」
 マッカーサーがこう思ったことは疑う余地もない。  <P354〜355より引用>

ちなみに、薬害エイズ事件であまりにも有名な「ミドリ十字」の創始者である内藤良一は石井四郎の片腕?というより

優秀なだけでなく鋭敏で組織を動かすノウハウも心得ていた内藤こそ、実は、戦中から、石井機関を取り仕切り、石井をうまく動かしていた黒幕という説もある<P371>

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E8%97%A4%E8%89%AF%E4%B8%80
内藤良一 - Wikipedia

ネットで、ミドリ十字を検索してもそのホームページが出てこない
間違えて、ここへ行くと小さな文字でこう書いてある

社団法人日本緑十字社(にほんりょくじゅうじしゃ)は厚生労働省認可の公益法人です。「ミドリ十字」とは、一切関係はございません。http://www.greencross.or.jp/ 社団法人 日本緑十字社

ミドリ十字」は今日までは「三菱ウェルファーマ」であった

三菱東京製薬(三菱化学の医薬品事業+東京田辺製薬が1999年に合併)とウェルファイド吉富製薬ミドリ十字が1998年合併)を前身に2001年10月1日発足し、2005年10月3日、親会社だった三菱化学と共同で持株会社の株式会社三菱ケミカルホールディングス(略称:三菱ケミHD)を設立し、同社の完全子会社となった。
三菱ウェルファーマ. (2007, 9月 17). Wikipedia, . Retrieved 15:45, 9月 30, 2007 from
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%B8%89%E8%8F%B1%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%9E&oldid=14915578

そして、明日から

2007年10月1日、田辺製薬三菱ウェルファーマは合併し田辺三菱製薬が発足しました。

http://www.mt-pharma.co.jp/ 田辺三菱製薬株式会社