唐長

伊勢型紙を彫り始めたのはちょうど2年ほど前だ

実はこの半年ほどは全く彫っていない

あまりに自分の技量のなさに行き詰まりを感じて

カッティングマシンにお任せとなった

3~4月は獣のようにマシンを操った

イラストレーターもかなりいろいろと技を覚えた

制作に関してあまりこの日記ではふれていなかったが

昨夜はかなりの衝撃を受けた

この本だ 

唐長 京唐紙

唐長 京唐紙

 

 じつはこの間ジュンク堂で次に紹介する本をみたのがきっかけだ

日本の文様ものがたり 京都「唐長」の唐紙で知る

日本の文様ものがたり 京都「唐長」の唐紙で知る

 

 さらには、県図書館でこれも借りたのだがこれも衝撃的だった

唐長の京からかみ

唐長の京からかみ

 

 

伊勢型紙そのものは、今では作品として紹介されたり

切り絵との親和性もあるように思われるが

どちらも「切る」ことによる「キリッ」とした線が魅力だ

しかしながら、からかみから感じる独特の境界線に心引かれる

また、そもそも伊勢型紙も染めのための一過程であり

仕上がった「小紋柄」は布の質感と共に絶妙の柔らかさが感じられる

この本も県図書館で借り続けているのだが誠にすばらしい

小紋文様 (伝統の染織工芸意匠集)

小紋文様 (伝統の染織工芸意匠集)

 

 ネット上の和柄文様のサイトや素材集は数多くあり

自分もイラストレーターを駆使してかなり再現できるようになったが

それらの美しさを否定するつもりは毛頭ないのだが

 

冒頭に紹介した本の巻頭に白州正子さんの次の文章がじつにすばらしい

「・・・・・一分一厘の狂いも許さぬものなら、機械を使ってもよさそうに思われるが、やはり人間の手でした仕事には、自然の柔らかさとぬくもりがあって、同じ文様の繰り返しの中に、いうにいわれぬ味が感じられるのである。(中略)

 だが、何といっても千田さんの唐紙の特徴は、先祖代々伝えた版木を大切に保存し、未だに使用していることだろう。全部で六百点ほど蔵されており、その一つ一つが見事な芸術作品である。きものなどの型紙などとは違って、厚さ三、四センチもあるしっかりとした版木で、深掘りであるほど使いやすいといわれた。材は殆ど朴の木で、朴は軟らかいため、木目が平均して減って行くのが長所だという。特に繊細な文様とか、鋭い線には桜の材を用いる。桜は堅木だからこまかいものに適しているのだろうが、はじめから減るのを承知で朴を使っているのは面白い。唐紙の文様は、たっぷりとしている方が美しいのであって、軟らかい版木と和紙と泥絵具と、それに人間の手が加わってひたりと調和した時、完璧な作品が生まれる。ここでいう完璧とは、必ずしも完全無欠というようなことではなく、日本の絵画や焼きものにに共通する、余裕のある美しさという意味である。古い版木の中には、ところどころ欠けたものがあって、構わず使ってみると、却っておもしろい味が出ると千田さんがいわれたのも、仕事に通暁した人のありがたい言葉であると思って聞いた。(以下略)」