友人から借りた本

7月5日の日記に書いたD先生が家のポストに本を届けてくれた
さっそく台風通過の夜と翌日の一日で読んだ

反転―闇社会の守護神と呼ばれて

反転―闇社会の守護神と呼ばれて

前半の生い立ちや、検察時代の話のほうが個人的には興味が持てた
後半のバブル紳士などとの絡みについては今ひとつではあったが
この本が売れているそうである
そのことのほうが驚愕である
このページのこの文章が非常に印象深かったので付箋をつけていた(自分の本でないので線は引けない)
長い引用となるが・・・・・

先輩のヤメ検弁護士たちは、それぞれ実力OBを中心にした、いくつかのグループを形成している。退官後は、親しかった先輩のグループに身を置く。OBたちは、現役検事時代からの人間関係を引き継ぎ、そこで暮らす。よくいえば、家族的な関係のなかで利益を分配しながら生きていくということだろうが、その先輩、役輩のきずなは、一般の世間に較べてもかなり強い。これは検事も含めた役人に共通する生き方でもある。よほど大きな事件は別だが、一般的な普通の事件では、こうした先輩、後輩の私的な人間関係によって、捜査の行方まで左右されることが少なくない。検事の世界はすこぶる狭いため、どうしてもそうなるのだろう。これも、検察捜査のもうひとつの現実である。
 かつて大阪地検の特技部に配属された私は、どんなことでもできるように自惚れていた。特捜検事は「正義の最後の砦」だとも自負してきた。 
 しかし、その自信や自負心が、検事として年月を重ねていくにつれ、ことごとく崩れ去っていった。と同時に、それまでの検察庁のやり方や仕組みに対する不満が、抑えきれなくなっていった。検事には、法務省キャリア、閨閥を後ろ盾にするエリート、たたき上げの捜査検事という三種類かおるが、仕事の大半は、われわれたたき上げの検事が担っている。しかし、それを手柄にするのは、キャリアや閨閥エリートばかり。出世の材料にするのも彼らばかりだ。あげく自分か手塩にかけて手掛けてきた事件が潰される。そんな現実を見ていると、なにやらアホらしくなってきた。 
「あまりにも不平等ではないか。一生、こんなことをやっているのかな。検事という職業は、本当に生涯を賭けるほどの仕事なのだろうか」
 大阪にいると、まわりがみなたたき上げの捜査検事だったから、それほど不公平感を痛切に感じたことはなかった。とくに東京地検に配属されてから、そんな不満が募ってきた。それは、幼いころから貧乏で学校の勉強もろくにできなかった者の僻みかもしれない。子供のころはそれほどエリートや金持ちをうらやましいと思ったことはなかったが、社会に出てなお馬鹿にされるのは嫌だった。昼間の高校に進学できなかった私が、中学校時代の親友に対して引け目を感じ、こちらから避けるようになったときのような惨めな思いはしたくない。ふと、そう思った。
 なぜか、これまで取り調べてきた被疑者のことが順に浮かんだ。彼らのなかには、撚糸工連事件の小田清孝のような苦労人が多い。そうして、むしろ彼らにシンパシーを覚えるようになっていった。もはや差別されるのも、差別するのも嫌だった。私は、明らかにやる気を失っていた。
 反転―闇社会の守護神と呼ばれて (単行本)  第五章転身 P198〜199より引用

ここも付箋をつけた

高山会長は滋賀県大津出身の在日韓国人で、例の許水中とも親しい間柄である。(中略)日本のヤクザの親分のなかでも、何本かの指に数えられるだけあって、なかなかの人物だった。初対面以来、この大物組長とも、長い付き合いになった。右翼活動も熱心で、暴対法の施行の際は、マスコミを巻き込んで反対の大キャンペーンを張った。
 「京都は古い寺がぎょうさんあって、修学旅行のメッカになってますやろ。でも、同和や在日韓国・朝鮮人も多うてね・はぐれ者もたくさんいてます・そんなやつらを野放しにしとったら、修学旅行どころではないでっしやろ。それをまとめとるんが、わしらなんですわ」
 と言う。ヤクザの親分の体のいい自己弁護ともとれるが、そうでもない。高山会長が言うように、世の中には、社会の規格に合わないはぐれ者がいる。ヤクザの世界は、その坩堝のようなものだろう。その街のはぐれ者にとって、唯一怖い存在がヤクザの組である。ヤクザの組織が、はぐれ者たちをしばる役割を果たしてきたことも、たしかだ。
 日本には、歴史的に貧窮民や無宿人、被差別部落民といった下層民が存在し、彼らが形成してきた社会の暗部がいまだに残っている。その象徴的な街が、東京の山谷、大阪の釜ケ崎だが、全国にそうした暗部がある。そこでは、法による支配や保護がろくに及ばず、住民は長らく「制度外の民」という扱いを受けた。また、そうした社会では民を束ねる者が必要となる。その役割を果たしてきたのが、ヤクザだったといえる。彼らは地元の住民を搾りあげながらも、外の社会と折り合いをつけていった。警察でさえ、彼らに頼ってきた側面が強い。
 生来、法や社会からはみ出したはぐれ者は、警察の言うことをきくはずがない。しかし、地元のヤクザの親分を無視するわけにはいかない。そこで、警察が手を焼くと、親分に頼んでくる。そういう奇妙な関係でこうしたアウトローの社会が成り立っているのだ。
 高山会長の話では、地域のはぐれ者が度の過ぎたことをやったときには、親分や組の幹部が呼びつけるらしい。
 「たいがいにせえ。これ以上、ヤンチャが過ぎたら、しまいには、殺(や)てまうど」
 などといった調子で、どやしつけていたそうだ。いわばヤクザは、権力支配の補佐役を果たしてきた面もある。
 高山会長が暴対法の施行の際、マスコミを巻き込んで大反対キャンペーンを張った背景には、そうした従来の権力とヤクザの関係を一切無視して、ただの犯罪集団として断罪されることに、ヤクザ界の長老として、憤懣やるかたない思いと危惧を感じていたからだと思う。
 「極道が、こんな格好の悪いことをしとないんやけどな。そやけど、こんなアホな法律ができたら、ヤクザがマフィアになってまう」
 よくそう言っていた。
 暴対法の施行を機に、ヤクザの世界も様変わりした。バブル紳士などが全滅した後、いわゆるアウトローのなかでは、唯一、組の関係者だけが倒産整理で大儲けした。だが、暴対法で大きな打撃をこうむった。資金源を絞めあげられ、上納金を払えなくなったあげく、組を離脱する組員が続出した。
 高山会長が危惧していたように、組のしばりから解き放たれた元組員たちは、地下に潜って、より悪質化、秘密結社化していった。それも現実である。

反転―闇社会の守護神と呼ばれて (単行本)  第六章 ヤクザと政治家 P262〜264より引用