岡崎勝さんの本

先々週に買いだめした本の中でひさびさにこの人の本がある

学校再発見!―子どもの生活の場をつくる

学校再発見!―子どもの生活の場をつくる

佐世保事件の本も書いてみえるが、この本こそ?彼の神髄ではとも思える
「いじめ」の件など、現在騒がれている問題など「なるほど」と思えることも多い
同業であるから面白いとも言えるが、一般の方はどう思うのだろうか?
また、小学校勤務の先生と中学校勤務の先生では感じ方が違うと思う

以下の引用部分は、つくづく考えさせられた
本文134ページより

(3)過労死または奴隷手当としての「教職調整額」
 この項は、ちょっと面倒な内容となる。給料明細の話なので関係者以外には分かりにくいかもしれないが、おどろくことに、給料をもらっている教員自身もよく知らないのである。
 現在、教員には残業手当は出されない。それは「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」一九七一年制定、「給特法」と略)があるからだ。これは、「4%の教職調整額という割り増し給与をつけます、そのかわり超過勤務手当は出しませんよ」という法律である。もちろん超過勤務は無定量無制限に命じないで、学校行事、教職員会議、非常災害等など四項目に限定されている。 しかし、そんな限定など、今では意味をなさない。今、居残ったり、持ち帰ったりしているのは、日々の学校の仕事である。ところが、校長は「勤務を命じているわけではない。先生方が自主的にやられているのです」と言うことになっている(笑)。 
 つまり法律上では、「テストづくりで残業して下さい」とは命令できないので、「あんたは好きでやっているんですからね」というわけだ。もちろん、これは冗談ではなく、真剣に教委も校長も言う。そうしないと、テストづくりや資科づくりで残らざるを得ない教員に「超過勤務を命じた」コトになってしまい、それは違法になるからだ。 結果的に、この法律は成立主旨とは全く違って「4%割り増し調整額を出したんだから無制限に働きなさい」という現場感覚になってしまったのだ。
 この非常にねじれた法律と、4%もらえるんだよねという現実が、勤務時間にルーズな教員の世界を作ってしまったように思う。ちなみに4%の増量給与は、一週間につき二時間程度の残業手当に等しい。二時間というのは、今なら一日の居残り、そして、持ち帰り残業の時間だよ。
 ところが、今この教員給与が、公務員制度改革にともなって見直されようとしている。教員の勤務実態の調査をして、4%の教職調整頓を見なおそうというのだ。だが、政府は、どんな理屈をつけてでも、教員の給与を減らしたいということだろう。「どっちがいいですか?」という選択肢の先は、どっちも同じ「減給」だったりするのだ。
 給特法によって、教員は無賃労働を当然化し、それをやらざるを得ない自分たちの労働意識が間違っていると思わず、逆に、無償の奉仕を美化するか、あるいはあきらめるかして、ますます疲れねじれていく。ねじが切れた教員も多く、その奴隷的労働によって精神疾患になり、過労死への道をひた走る。自分の家庭生活も犠牲にして何が教育か? また、そんな教員を見て、「教員をつづけながら、子どもを産み育てるのも無理ね」と「少子化に拍車をかける」のが実態なのだ。
 新しい教員の働き方を模索し、「奴隷労働を強いる者たち」とのケンカのしかたを編み出すことが今求められている。そして、学校労働現場の実態をきちんと伝えることと同時に、「しんどさ」で世間の同情を買うのでなく、労働の新しいあり方を模索し、教育活動の楽しさを追求することも必要なのだと強く感じるのだ。
 仕事を「テキトウ」にやることが大事である。私はヒラ教員の立場だから、「より少なく働いて、よりよく生きる」というスローガンというか、座右の銘がある。第五育でも詳しく述べたいが、「いい加減」「適当」「程々に」仕事をすることは、なんら恥ずべきコトでない。教員の一番の敵は、仕事を一生懸命やってくたびれたことに快感を得ているようなマゾヒズムとナルシズムである。

ちなみに岡崎さんのホームページはここです
http://www.mb.ccnw.ne.jp/m-okaza/index2.html 岡崎勝のページ