激動期の美術 幕末明治の画家たち

図書館で借りて実に面白かった

明治維新によって、江戸文化を牽引した大名や幕臣たちは表舞台から去る。そして日清戦争、さらに清朝の崩壊以後、明治以前の華夷秩序の中での歴史を否定するような日本美術史が作られていった。そうした文脈の中で、本稿で取り上げたような鮮やかな色彩を持つ花鳥画の流行という事象は歴史の中で矮小化され、またそれらを継承した画家たちは旧派として傍流へと押しやられた。日本画では、横山大観が細川護立らの後ろ盾を得て活躍し、戦中、戦後を通じて日本美術院を主体とする歴史観が確立されていった。岡倉天心や大観たちが注目した花鳥画の「伝統」は、琳派であった。琳派はそもそも狩野派のような連続した画派ではなかった。明治以後、光琳の再評価を通じて形成された概念であり、アール・ヌーボーとの関係、あるいは装飾性といった美学的な価値観など、時代に応じて様々な角度から評価が加えられ、日本美術の独自性をよく表すものとして位置づけられてきた。「日本画」は、南頻派系の中国的な世界観を伝えた花烏画を捨て去り、その代わりに琳派を近代に再生することで「国画」としてのアイデンテイティを形成したのである。華夷秩序から脱却して日本中心の東アジア文化の歴史を読み直そうとする近代日本の立場から、明清画の影響を受けた江戸の花鳥画の繁栄は、美術史の中で近代とは切り離され、過小評価されて語られてきたと言えよう。

 

高校生以来、様々な美術史の本を読んできたつもりだが、まだまだ勉強不足であった。

激動期の美術―幕末・明治の画家たち 続